誘惑
 刹那は、鏡越しに後部座席に座ったティエリアを見た。
反対車線の車のライトに照らされて、よく見える。怖いほどに整った顔は女性以外のなにものでもなく、本当は男だと知っていてもその事実を疑いたくなってしまう。
 潜入捜査のため、ティエリアは女性に変装していた。変装と言っても凝った事はしておらず、ただドレスを身にまとい、多少の手を加えた程度だ。元々の中性的な顔立ちは違和感なくドレスの上にはまっている。その格好をしたティエリアが、刹那は気になってしょうがないのだ。
直視すると、見てはいけないようなものを見てしまったような気分になり落ち着かない。けれど、見たくてしょうがない。その相反する気持ちが刹那の心の中で渦巻いていた。顔に出ないのが幸いだろうか。
「前を見て運転しろ、刹那」
 気が後ろへ行っている事に気がついていたらしい。刹那は努めて前に注意を向けたが、後ろのティエリアが気になってしょうがないのはどうしようもなかった。後続車を見るようなそぶりを見せつつ――実際、後続車にも気を回していなければいけないのだが――鏡越しにティエリアを観察した。
さりげなく組みなおされた脚が、ドレスのスリットから覗く。すらりとしたラインをしている脚だった。色っぽいというよりは、肉付きの薄さから清潔さを感じる。
ただ男の脚がたまたま見えただけなのに、落ち着かない気持ちの理由が分からず、刹那は自身に困惑した。
「運転免許証を持っていたんだな」
「四年の間に取得した」
「そうか」
 車に搭載されているナビゲーションが、目的地がもう近い事を告げた。ふたりの気持ちが引き締まる。
「刹那」
 すっと横に顔が近づけられる。運転席と助手席の間から顔を出し、ティエリアは声を潜めた。
「最終確認だ。中には僕ひとりで入るが、君にも中の様子が分かるように映像と音声を送る。何かあっても僕からは何も言えないだろうから、それらで察してくれ」
 内容は極めて真面目な話なのに、気が散ってしょうがない。ティエリアの顔の位置的に、丁度、刹那の耳に声が吹き込まれるからだ。吐息が耳にかかる。冷静でいられる方がおかしかった。男にしては甘くて、それでいて上品な声は、揺るがすには十分な力を持っていた。
声も問題だが、一番の問題は無自覚で行っているティエリア自身だろう。そう思うと、これからの潜入捜査がとても不安になってきた。
美人なティエリアの事だ。多数の男から声がかけられるだろう。事実、ティエリアにはそういった前科がある。
以前、地上でのミッションをティエリアと行ったアレルヤが言うには、ミッションに支障が出るほどだったらしい。本人に自覚がないため、隣にいたアレルヤの方がどきどきしていたらしい。いくらかの虫はアレルヤが追い払ったとも言っていた。
セレブリティの集まりなので無粋な事をする連中は少ないだろうが、誘われても果たしてティエリアは上手にあしらえるスキルはあるのだろうか。ティエリアにその気はないのに、誘われたと勘違いする男はいないのだろうか。それを理由に乱暴されないだろうか。刹那の中で、不安因子はものすごい勢いで膨れ上がった。
「ひとりで大丈夫か?」
 思わずそんな言葉が出た。色々考えを巡らせた結果だった。
「何を言っているんだ」
 ティエリアの声は心底あきれていた。
「僕に出来ないと思っているのか? こんな事も出来ないようではガンダムマイスターにはなれない。問題はない、スメラギ・李・ノリエガのミッション通りに行う」
 車が目的地に到着した。刹那が声をかける前にティエリアは自分でドアを開けて外に出てしまう。
「ティエリア」
 声をかけると、ティエリアが刹那の方を見た。普段からは考えられない、にこりとした優しい笑みを浮かべている。
「……ッ!」
「では行ってきますわ。後はよろしく」
 変声機を使ったであろう、普段のよりも幾分トーンが高い女性の声で返してきた。ティエリアの潜入捜査は始まっているのだ。刹那はそれ以上、何も言えずに送り出した。
「……あれは反則だろう、ティエリア」
 別れ際のティエリアの笑顔が、刹那を更に不安にさせた。

女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理