煙草

 すん、と鼻から空気を吸い込んだ。
 ――違う。
 これは違う。温かな夢がぶつりと消えて意識が覚醒する。眼前に広がるものはあっているのに、においが違う。
「なに」
 あくびをしながら、むき出しの肩にブランケットがかけられる。かけられていた事によって、自分の肩が冷えていた事を知ったが、それよりも気になる事があった。
「……何か、変なにおいがする」
 すんすんとライルの首筋あたりのにおいをかぐ。ティエリアの言いように、ライルは眉をひそめた。
「くさいってか」
「くさいというか……なにかつけているのか?」
「どこの女優だよオレは。寝てるときにフレグランスはつけねえよ」
 しかしティエリアは納得がいかない。執拗ににおいをかぐティエリアに辟易したライルが、昨夜の自分の行動を思い返してみた。するとある事を思い出す。
「そういや昨日、久しぶりに煙草を呑んだか」
「煙草」
 ベッドヘッドから煙草ケースをとる。ティエリアにそれをかざしてみせた。
「これだよ。普段は呑んでたんだけどな。ここに来てからずっと呑んでなかったから」
「知ってはいたが、初めて見た」
「化石燃料で動く車同様、これもある意味化石だからな」
 体によくないという事で各国が害だと国民に対して注意を促しあげく、かなり高額で売られるようになって久しい。今では嗜むほうが珍しい。ライルとてそんなに嗜んでいたわけではないが、付き合いで呑む酒よりは高い頻度で嗜んでいた。なんとなく口寂しい時に呑むくらいだ。
「ふうん」
 おもむろにティエリアは起き上がり、煙草と一緒においてあったライターを手にとる。そしてライルの手の中から一本取り出すと、口にくわえて火をつけた。
「……っ」
 ゴホゴホと咳き込む。ライルもあわてて起き上がった。
「おいっ」
 急いでティエリアから煙草を取り上げた。傍にあった灰皿で煙草をもみ消す。
「慣れないもの呑むな」
「どんなものか知りたかっただけだ」
 ティエリアは、ふいと顔をそらしてしまう。ライルの目にはきれいな背中が映った。肩甲骨が浮かんでいる。骨っぽくて、少し痛い背中だ。
「……分かったか? お子様にはよくないもんだよ」
「子どもじゃない」
 ふてくされたティエリアはブランケットを被った。蓑虫よろしくブランケットをまきとり完全に外をシャットアウトする。
「おい、オレが寒いだろ」
「……」
「聞いてるのか」
 ライルは蓑虫を後ろから抱きすくめた。中にいるティエリアの肩が揺れる。ブランケットの中からくぐもった声が聞こえた。
「そのにおいは好きじゃない」
「……兄さんと違うからか?」
 わざわざこんな会話をするのは自虐的だと思う。ティエリアにとっても、ライルにとっても。
 存在しないひと。
 そのひとが深く二人の心に棲んでいる。言わなくても、付きまとっているのだ。
「違う」
 ライルがニールとの相違点を探しているのは知っている。それについてティエリアはわざわざ言ったりしない。けれど。
「最初から、彼とは違うにおいがした。……だから今更、」
 それ以上は言えなかった。言葉が詰まってしまう。
「そうか」
 静かな室内でシュボッと音がした。ライルが煙草に火をつけたのだ。ゆっくりと紫煙があがる。
「……別に呑んでいいとは言ってない」
「今更なんだろ」
「そのにおいは嫌いだ」
 ティエリアがはっきりと言葉にすると、ライルは顔をゆがめた。しかし、すぐに表情が変わる。にやりとしたあやしい笑みだ。
「口寂しいんだよ。教官殿が寂しくされなかったらやめるけど?」
「……どういう意味だ」
「オレにキスしてくれたらやめる」
 ティエリアは眉間に皺を寄せた。
「なにを言っている」
「別に強制はしていない。いやならしなくてもいい」
 ティエリアは盛大に顔を歪めた後、勢いよく起き上がる。動きは俊敏だった。
「っ、と」
 咥えていた煙草が抜かれる。柔らかな唇が押し当てられた。
「……僕はまだ寝るからな。寝ないなら出て行け。起きられたら寒くてかなわない」
 一瞬のうちに唇は離れて再びティエリアはブランケットの中で丸くなる。煙草は、灰皿の上でもみ消されていた。キスをしている間に消されたのだ。
「……かなわないな」
 さっきの蓑虫状態とは違い、半分場所を開けられたブランケットの中に滑り込む。
「寒い」
 なにをしろとは言わないが、その言葉でなにを求めているのはライルには十分分かった。
「はいはい」
 ぎゅっと後ろから抱きしめる。簡単に腕の中に納まった。
 ――いいにおい。
 ティエリアはあまり体臭がしない。あまりというか、全くだ。ソープの清潔なにおいが首筋と髪からする程度だ。
 ライルはそれを彼らしいと思う。
 ぎゅっと腕に力を込めて、ふたりはつかの間の惰眠を貪った。
 

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