話し足りないと言っている数名が、二次会がやりたいと言い出した。朋輝はそれに付き合う気はなかった。そもそも冷静に考えて、なんで自分が同窓会に顔を出したのか分からなかった。
 カラオケか、ボーリングか、居酒屋か。そんな声に背を向けて返ろうとした。
「朋輝」
 肩に手がおかれた。振り返るまでもない。貴広だ。
「お前、まだ時間あるか?」
 時間は九時過ぎだ。門限が、というのはあまりに苦しい言い訳だった。
「あるけど」
「じゃあ、付き合え」
「二次会に?」
「俺の飲みなおしに。さっきのじゃ、全然飲めなかった」
 それはそうだろう。腰を落ち着ける事なく、貴広は働いていた。
「貴広は二次会行かんくていいのか?」
「もう後は勝手にやってくれればいい。俺の義務じゃない」
 貴広の押しの強さに勝てなかった。ずるずると引きずられて、朋輝はその集団を後にした。
「俺、帰りたかったのに」
「面倒な幹事をやった俺を労え」
「自主的にやっとったんじゃなかったの?」
「やるもんか。他のクラスは、元学級委員がやってるって言うのを聞かされて、どうしようもなく、だ」
 連れてかされたのは、最寄りの駅から歩いて五分。この店は高校の時、よくクラスで打ち上げをした居酒屋だった。
「駅がかなり変わってて、びっくりしたよ。いつから工事してたんだ?」
「今年……去年か。去年の今頃から準備をしとって、本格的に始まったのは、春過ぎだけど……。夏帰ってこんかったの?」
「バイトとか、忙しくて……。それに、集中講義とかもあったし」
「ああ、そうか。てっきり帰って来とったんだと思ってたけど」
 貴広はビールを頼んだが、朋輝は酎ハイを頼んだ。飲めなくはないが苦いのは苦手だ。
「そうだったら、遊びに誘うよ」
 帰ってきた答えは、本気なのか社交辞令なのか悩むところだった。
「学校はどうだ、楽しい?」
「なんだそれ。子供との会話が減った父親みたいだが」
「茶化すなよ。心配してるんだ」
「そう? ありがとう。大丈夫だて」
「本当に?」
「ん。別に授業分からんわけでもないし。友達もぼちぼちいるし」
「友達いるのか?」
「だから、なんだよその父親くさいのは。いるよ。バカにしてんのか? イヴの日も皆で集まって飲んだし」
 その後、すごい事になってしまったけれど。そもそも始めは、数人での飲み会だった。
「――変わったな、朋輝」
 名前を呼ばれるとくすぐったい。さっき飲んでいた分に加算されたアルコールのせいで、意識がふわふわとしてきた。それを戻すためにお冷を飲む。
 逃げ出したいくらいだったのに、実際話してみると、出来るものだなと思う。
 店員を呼び止めて、追加注文をしているのをなんとなく聞いていた。貴広に「何かいるか?」と聞かれ、「ラムコーク」とだけ答えた。
「子供の味覚」
「うるさい」
 自覚している事を言われて、むかっとしたので睨みつける。だいぶ酔いがまわっているのかふらふらした。頬杖をつこうとして、肘がつるりとすべる。
「おっと……」
 隣においてあったお冷の入ったグラスに、肘が当たった。バランスを失ったグラスが倒れる。
「やっべ」
 幸い、グラスの中には少しの水と氷しかなかった。水がグラスの周りに広がって、氷がテーブルの上を滑る。貴広があきれた顔をした。
「酔っ払い」
 テーブルの上に散らばった氷を片付けるのを貴広は手伝ってくれた。こぼれた水を、手拭で拭く。
「ごめん」
 テーブルの向こう側から手伝ってくれた相手を見る。祐輔の目の前を片付けてくれたので、すぐそこに顔があった。あまりの近さに、ぎょっとした。あの日の事が蘇る。
 真っ暗な教室。手元のライトスタンドと、教室から見える児童公園の明かりだけが、ちかちかしていた。あの不鮮明な明るさが、今いる居酒屋の明るさと、重なって感じられた。
 暗い中、近くに見た貴広の顔。自分と比べると、既に大人の顔になりつつあった。
 貴広の顔が、近い。
 少し距離が縮まって、吐息が感じられるまで近くなる。瞳が覗き込まれて、息を飲み込んだ。すっと切れ長の涼しげな目元が赤くなっている。ものすごく色気がある。戸惑いながら、貴広の唇が動いた。
「――あの時、さ」
 あの時が、いつの事か訊かなくても分かる。自分だって、その時を思い出していたのだから。
「キスしたかったんだ」
 呟くような声は、自白だった。伏し目がちにされるそれは、穏やかで、でも不安だらけの音楽を聴いているような気持ちにさせた。ふいと顔が上げられる。視線がかちあった。
「好きだったんだ」
 囁くような、告白だった。それは朋輝がずっと欲しかった言葉だった。心の奥に沈んでいたなにかが、言葉に呼応するように浮んでくる。沈んでいたものは黒くなっていた。それが心を汚す。砂嵐のようなぐちゃぐちゃしたものに変わるのに時間はかからなかった。
「ごめんけど、それには答えられんよ」
 笑って告げようと思った。失敗した笑い方になっているかもしれないけれど。
「俺が男だからか?」
「違う」
「理由は……訊くと野暮か」
「貴広とは恋愛が出来んと思うから。それが理由」
「……よく分からない」
 大きく目を見開いた後、不満そうに見る貴広を、朋輝は軽く目であしらった。
「分からんくていいて。俺が勝手にそう思ってるだけだで」
「それ、答えになってない」
 テーブルの向こうから、強い力で肩をつかまれた。がっしりと固定される。貴広は凄い形相をしていた。こんな貴広を未だかつて見た事がない。朋輝の知っている貴広は穏やかで、人当たりがいい人間だ。不器用な自分とは全く違う。
「好きなんだ。好きなんだよ」
貴広はひどくあせっていた。言うべき言葉が見つからなくて、もどかしそうに何度も好きだと言った。しかし、朋輝はそれに答えなかった。
駄目だと、好きと言われただけ、返した。
 野暮か、と訊ねた男とは思えなかった。貴広は必死になっていた。朋輝だって、この自分の中にあるものを貴広が知りたいのなら、丁寧に説明したい。けれど、自分のボキャブラリーの中で出来る範囲を越えていた。段々といらいらしてくる。どちらも、言葉足らずで癇癪を起こしてしまう幼児の様になっていた。
「肩、痛い」
 あえて、冷たくいう事にした。予想通り、貴広は動揺した。癇癪を起こす前の子供のような顔になっている。顔が赤くなり、目が潤んで、口がへの字に曲がっている。
「本当に、駄目なんだ」
 段々と、感情をコントロールするのが難しくなっていた。本当は、優しく懇切丁寧に説明をしてやりたい気もするし、辛辣に突き放したいような気もした。どっちも同じくらい本能が求めるなら、最終的な判断は理性が行う。朋輝の理性は後者を選んでいた。
「俺には、彼氏がいるんだよ」
 一言ですべてを語れるものを選んだ。多くを語ると、きっと朋輝は泣いてしまう。
「嘘だろ?」
 そんなものは信じないと言った貴広の表情に、朋輝はカチンときた。
「嘘じゃない!」
 ドンと、貴広の肩を押す。コートをひったくって、朋輝は逃げ出した。座敷席に通されたくてよかったと思う。すぐに逃げ出せれたからだ。
 足がよろけた。アルコールがバランス感覚まで、おかしていた。
「朋輝っ!」
 急いで会計をすませた貴広が追ってくる。腕を引かれて、汚い路地裏に連れてかされた。
「なんでだよっ!」
「それはこっちのセリフだ」
 壁に押し付けられる。向き合うかたちになって、貴広は朋輝をじっと見つめてきた。
「ちょっと、どけって……」
 必死にないてもがいたが、小柄な朋輝は、標準身長を越している貴広から抜け出す事は出来なかった。両腕共掴まれて、脚を絡めてきて動きを封じられる。
「なあ、嘘だろ?」
 朋輝に恋人、しかも彼氏がいる事が信じられない、といった幹事だった。瞳を覗き込まれて、その目がすがるような色をしていたので怖くなる。
「嘘じゃない」
「嘘だよ」
「しつこいな、本当だて。お前が思っている程、俺は純情じゃないんだよ」
 腕を振り払いたいのにそれが叶わない。さらに力を込めた手が手首を掴んだ。貴広の顔が近づいてくる。
「なあ、朋輝」
 返事は出来なかった。声ごと、貴広の唇に持っていかれたからだ。
「ん……んふっ」
 祐輔の唇に慣れしまった朋輝の唇は、違和感を覚えた。貴広の舌が、呼吸しようと無意識に開けてしまった唇の間から入り込む。口内を自由に行き来する舌のせいで、息が上がった。
「ふっ、んんん」
 羽織るだけのコートを掻き分けて、服の中に貴広の手が入りこむ。朋輝の肌を直接撫でた。強引なその行為に、怒りがふつふつとわいてくる。
 同時に悲しかった。
目の前の、自分をむさぼろうとしている貴広は、自分の知る貴広ではなかった。朋輝の知っている貴広は、もっとスマートな人間だった。こんな後の事を考えずに行動を起こす人間じゃない。変わってしまったのか、前から本当はこういう性格なのかは知らないが、こんな面は見た事がなかった。
すうっと何かが冷めていった。
その、何かが朋輝にも分かっていた。もう後ろ髪引かれる必要もない。
力を込めると血の味がした。
「痛っ」
 容赦なく、貴広の舌に歯を立てた。顔をしかめて、貴広が朋輝から体を離す。反射的に動いたのだろう。表情から察するに、頭がついていないみたいだった。
「さよなら」
 もう、貴広は追いかけてこなかった。もし追いかけてきたら急所を狙って蹴り飛ばしてやると思っていた。
朋輝は後ろを振り返る事はしなかった。本当の、お別れだからだ。

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