花火
「たーまやー」
缶ビール片手に祐輔が言う。朋輝は何も言わず、ただ花火を眺めていた。缶に入った梅酒に口をつける。暑さのせいで、だいぶ生ぬるくなってしまっていた。
今日は川沿いで花火大会が行われていた。毎年、遠方からも人が来る大きな祭りだ。本当は、朋輝も行く予定だったのだ。
『すっかり頭から抜けとった』
泣きついてきた祐輔をムゲにする事も出来ず――朋輝も祐輔にはよく助けて貰っている――手伝う事になったのだ。
自分と同じ内容で書かせるわけにはいかない。図書館で資料として目星をつけていたものの、自分のレポート内では使う事のなかったものを出してきて手伝った。
結果、制限時間ギリギリのところで出来上がった。出来上がったのはいいが、かなりいい時間で、花火の開始時間には間に合わない。大学の友達数名で行く予定だったのをドタキャンするハメになったのだ。せめても、という事で祐輔の下宿先のアパートのベランダから花火を見ている。
「近くで見たかったわ」
「え、朋輝行きたかった?」
意外そうにきかれて朋輝は顔をしかめた。
「行く予定だったが」
「でも、朋輝興味ないと思っとった」
「なんで?」
「クールだで」
飄々としている様に見えるとはよく言われる。けれど、大抵の人に、『第一印象とは違う』と言われる事が多かった。見た目どおりの性格ではないのだ。なので、一年以上もつるんでいる祐輔に言われるのは心外だった。
「そんな事、祐輔が言うとは思わんかった」
「そう? いつもクールだが」
すっと顔が近づけられる。朋輝は後ろに引こうとしたが、叶わなかった。祐輔の左手が腰を固定してしまっている。
「いっつも、俺の情熱的な告白を流すもん」
「もんとか言うな」
ドンと祐輔の肩を押すと、バランスが崩れる。朋輝は上手に腕の中から抜け出した。
「痛い」
「バーカ」
パパパパパパパン。
大輪の花火が幾つも打ち上げられる。赤や緑などの色がついていないシンプルなタイプの花火が、流れ星の様に夜空を彩っている。空がぱあっと明るくなった。
「綺麗だな」
「うん」
酒を片手に花火を見入った。新しいタイプのものも毎年増えるが、朋輝は前からあるシンプルなものが好きだった。小さな頃からある花火。
小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、毎年花火を見に行っていた。いつも隣にいるのは変わらなかった。幼馴染で親友だった男。
花火の向こうに、幼い自分と彼が見える様な気がした。小さな体には多すぎたカキ氷。お小遣いが足りなくなって、半分ずつお金を出して買ったりんご飴。あっという間に口の中に消えた綿菓子。色々な思い出が駆け巡る。
その中でも、一番鮮明に覚えているのは、高校一年生の時だ。
学校帰りに制服のまま直行した。ふたり共お腹が空いていたので、焼きそばやたませんを買って食べていた。
『あ』
パンと一発目の花火が上がった。空にまだ夕日が残っていて、紺と赤のグラデーションの上に光が散った。その花火に気をとられた朋輝は後ろから押されて、バランスを失った。前につんのめる。
『あっぶね』
数歩先を歩いていた彼の背中にドンとぶつかった。胸が高鳴る。こんな近くで接触したのは久しぶりだった。
『大丈夫か、朋輝』
振り返った彼の顔が、目の前にある。気が動転してしまった朋輝は何も言えなかった。不自然な空気はすぐに喧騒の中に消えた。けれど、あの胸の高鳴りは忘れられなかった。
「朋輝」
目を開くと、祐輔の顔が間近にあった。ぎょっとして距離をとろうとしたが、再び腰に手を回されていた。
「見とった?」
祐輔の後ろに見える花火はラストスパートを迎えていた。様々な色の花火が空に散る。光の洪水だ。
「見とった」
「ホントに?」
祐輔の顔が近づく。今度は避けなかった。目を閉じて、朋輝はそれを受け入れた。
締め切った部屋の中で、エアコンの音と濡れた音だけがする。唇を吸われ、口腔をくまなく舐められ、呼吸がままならない。頭は考える事を放棄していた。
「ふっ……ん」
長いキスの時は鼻で息をするものだと教えてくれたのは祐輔だった。朋樹はそれを忠実に守る。
ジーンズと下着は膝の辺りで絡まり、脚を自由に動かす事が出来ない。不自然に腰が揺らめくたびに更に絡まり、体の位置を自由に変える事ができなくなっていた。くもの巣にかかった蝶みたいに、自分ではどうする事も出来なくなっていた。
「朋輝」
くるりと体を反転させる。獣の体勢になり、後ろから祐輔に抱きしめられた。抱きしめていても、祐輔の手は快楽へ誘うのを止めない。
胸の突起は痛いほど摘まれ、下肢の欲望は緩急をつけて擦り上げられた。下肢から、とろとろと蜜が零れる。ぬちゃぬちゃという音は、普段なら羞恥心を煽る音だけど、今は何も考えられなかった。ひたすら快感だけを追う。
「はっ……ふうっ、ん」
耳朶を舐め上げていた舌が、首筋をたどり、肩を舐めた。身を竦ませると、舌は体から離れる。やめたのかなと思うと今度は唇が肩甲骨に落ちた。背骨を舐め上げられる。単に、たくし上げられたTシャツが邪魔だっただけらしい。
舌は尾てい骨までたどり着いた後、奥へ潜り込もうとした。
「祐輔……そこは、嫌だ」
祐輔は無理強いをしなかった。名残惜しそうに、キスが落とされて離れていく。
「ちょっとまっとって」
背後で祐輔ががさごそと動いているのが分かった。あ、と思い当たった瞬間、下肢に冷たい粘液がこぼされた。とろとろと零れている感触は、まるで粗相をしているみたいで恥ずかしい。抗議の声をあげようとしたが、それは祐輔に邪魔された。
「あ、あ、あ」
自分の中に祐輔の指が入ってくる。過去に何度か出入りをした事のある指は勝手を知っていて、朋樹を快楽へと溺れさせた。
朋樹の中に祐輔が入ってきた頃には、頭の中はからっぽだった。およそ人間らしくない、動物じみた行為は自分の心をむき出しにする。
薄く目を開けると、シーツを握り締めている自分の手が見えた。藁をも掴むような必死な状態に自分の冷静な部分が笑っていた。
「あっ」
にやりと口元を歪めた刹那、目の前で花火が散った。パチパチパチパチと、白銀の様な黄金色の様な輝かしい色が散っていく。鮮やかで激しい花だった。自分の顔はシーツに突っ伏している。夜空の花火が見えるはずない。
これが錯覚で見えていると気がついた時に、一際大きな花火が破裂した。背後で声がする。
「朋輝、朋輝、俺もういきそう」
僕も、と言う前に朋輝の体が波打った。瞼を閉じれば、光の洪水。さっきの花火や、昔見た花火の色を忘れてしまいそうなくらい、激しくて零れそうな光だった。
汗や体液で汚れた服の事を考える間もなく、朋輝は深い眠りへと落ちていった。
目が覚めると、朋輝は裸でシーツに包まれていた。
窓から見える空は快晴で、太陽の位置を考えると昼頃だろうなと思った。青い空に真っ白な雲。ぼうっと眺めていると、祐輔が後ろから抱きしめてきた。
「おはよ」
祐輔も裸だった。言うと墓穴をほりそうなので何も言わない。
「はよ。もう昼?」
「昼過ぎとる」
答えながら、祐輔は耳の裏や首筋にチュッチュッとキスを落とした。なかなか止めそうにないので放って置く。
「祐輔」
「なに?」
「……ごめん」
「うん」
祐輔は良いとも悪いとも言わなかった。それが唯一、祐輔が朋輝にとる非難なのだろう。優しい男は、朋輝に何も言わない。
時間が欲しいと思った。すべてを塗り替えるまでの時間。そうすれば、きっと変わる事が出来る。
祐輔の腕に身を委ねる。朋輝は、浅い眠りへ落ちていった。